シリーズ「荒川区のオキテ」④:明治神宮や浅草寺もいいけど荒川区でも初詣しましょう

荒川区を構成する5つの地域があります。

三河島(荒川)、日暮里、南千住、町屋、尾久なのですが、これらの地域を一つずつ、特徴や良い所を紹介していきたいと考えています。

今回から始めようと考えたのですが、よくよく考えてみたら12月。今年最後のマガジン発行ということで5つの地域の初詣について書きたいと思っています。

 

あなたの町の鎮守様はどこでしょう?

 

みなさん、初詣はどこに行きますか?明治神宮?浅草寺??神田明神???自分の生れた土地の実家の近くの神社かもしれませんね。

ですが、せっかく荒川区に住んだのであれば、地元の産土神にもお詣りしてみませんか?その土地に根付いた神様からパワーを分け与えてもらい、加護してもらうことも無意味ではないと思います。

日本は八百万の神様がいて、どの神様だけを信仰しなければいけないということもありませんし、ご利益に応じた神様もいます。

ところで、荒川区出身者なら自分の住む地域の鎮守様を知っているでしょうけど、引っ越してきた方だと自分の住む地域の鎮守様がわからずに、どこにお参りに行っていいかわからなかったりもしますよね?

各地域にある鎮守様の氏子町域は古来の旧村の範囲に由来します。今では日暮里だった地域でも昔は三河島だった地域があったり、現在の行政区画とは違っています。

また明治時代以前は台東区とか荒川区というものが存在しないので、区境をまたいだ氏子町域が存在します。

若い家庭やマンションの方だと町会に入ってないかもしれませんが、町会を見るとその地域がどこの神社の氏子だというのがわかると思います。

 

創建は795年。1200年を超える歴史で最大の氏子町域を持つ素盞雄(すさのお)神社

 

まず荒川区で最大の氏子町域を持っているのが素盞雄(すさのお)神社です。

南千住の千住大橋のたもとにあるのですが、旧三河島町の荒川区荒川全域、東日暮里1丁目(正庭町会)東日暮里2丁目(二之坪町会)西日暮里1丁目(子の神町会)と町屋、南千住のほぼ全域、台東区三ノ輪などが氏子町域になっています。

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素盞雄神社とはどんな神社なのでしょう?

創建は795年という1200年を超える歴史を持つ古社です。お祭りは天王祭といい、二天棒(普通の神輿は担ぐ棒が井桁に組んであり4本だが、担ぐ棒が2本しかない)で神輿を勇壮に左右に振る激しい神輿で、都内屈指の伝統文化を誇っています。

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汐入村を守ってきた胡録神社

 

南千住の大半は素盞雄神社の氏子なのですが、汐入の南千住8丁目は胡録神社の氏子です。

汐入村の名主高田氏は、元は上杉謙信の家臣でありましたが、戦に敗れて汐入までやってきて定住し汐入村を開きました。永禄4(1561)年ですから戦国時代真っ只中です。

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元々は村境を守る第六天という神様でしたが、明治に入って汐入名産の胡粉(貝殻の粉からできた塗料で人形の仕上げなどに使われた)から一文字取って第六天社の六と掛け合わせて胡録神社と改称した神社です。汐入再開発に伴って移転して、とてもきれいな神社になっています。

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724年に聖武天皇の勅願で立てられた石浜神社

 

南千住3丁目は石浜神社。

氏子町域は南千住3丁目と台東区橋場、清川です。元は一つの石浜庄橋場村だったのですが、江戸時代に台東区側は町奉行支配の橋場町となり、農村だった荒川区側が橋場町在方分と呼ばれ、それがそのまま台東区と荒川区に分かれたのですが元々は一つの村だったのです。

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石浜神社ですが神亀元(724)年に聖武天皇の勅願で建てられたという由緒ある神社です。

古の奥州街道(今の日光街道ではない)に近い交通の要衝だったので源頼朝もしばしば立ち寄り、境内社の真先稲荷には江戸時代には吉原通いの江戸市民も訪れたという歴史のある神社です。境内を見て回るだけでいろいろな史跡などあって面白いと思います。

こちらも汐入再開発の際に移転し綺麗な神社になっていますが、境内地付近は中世の石浜城跡と推定されています。

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ひぐらしの里に立ち、徳川将軍家にも尊崇された諏方(すわ)神社

 

日暮里ですが、東日暮里6丁目と西日暮里のほぼ全域、台東区谷中は諏方(すわ)神社の氏子です。

1202(元久2)年、この付近の領主、豊島経奏が信州から勧請したもので、江戸城を築いた太田道灌や、徳川将軍家にも尊崇された格式のある神社です。

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この辺りはひぐらしの里と呼ばれた景勝地で、文人墨客がこぞって集まった風流の地です。

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武蔵野台地の突端にあるお諏方様の境内から見渡すと往時の風景が目に浮かぶかもしれません。月や雪や花を愛でた美しい場所だったのでしょう。更に昔は低地は海でした。

 

正岡子規ともゆかりのある元三島神社

 

東日暮里2~6丁目(正庭、二之坪町会は除く)と台東区根岸は台東区にある元三島神社です。

元々は金杉村の鎮守様だったのですが、金杉村でも音無川以南は東京市に組み込まれ下谷区根岸になり現在は台東区、音無川以北は北豊島郡日暮里町に組み込まれて現在は荒川区東日暮里になっています。

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元々は一つの村だったので台東区と荒川区にまたがっています。また、江戸時代は線路がありませんから常磐線が町域の境目にはならないので同じ東日暮里でも正庭、二之坪は三河島村なので元三島神社の氏子町域にはならず素盞雄神社の氏子です。

元三島神社は弘安4(1281)年に勇将河野通有が元寇の役に際して日本総鎮守とも言われる伊予国(愛媛県)大山祇神社に加護を祈り、その分霊を河野氏の館に祀ったことによります。

今はラブホテル街に面して肩身の狭い思いをしているかもしれませんが、由緒ある神社で、当地に住んだ正岡子規ともゆかりのある神社です。

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尾久全域を氏子とする尾久八幡神社。歴史は南北朝以前から。

 

最後に尾久ですが、今では西尾久、東尾久ですが、昔は上尾久、下尾久村となっていました。現在の尾久地区のみならず町屋5丁目、4~7丁目も昔は尾久の一部だったので、尾久の氏子町域になります。

旧船方村は北区側と荒川区側に分割されてしまいました。荒川区側に分割された船方村は尾久に編入されています。

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尾久全域は尾久八幡神社の氏子です。

尾久八幡神社は創建年代は不詳とされていますが、神社に残る最古の棟札には至徳二年(1385年)と記されており、勧請されたのは南北朝以前の歴史ある神社となっています。

境内に入ると荘厳な雰囲気に胸を打たれます。私の子供は二人とも女子医大で生まれたので出産の無事を祈ってお参りしたのでとても思い出に残っています。

周囲にはお寺も多く、尾久を潤した八幡堀、三業地としての歴史など、街の歴史を知るためにもお参りと併せて周辺散策をしてみても良いかもしれませんね。

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こうした氏子町域のある神社はみな、下町らしく活気あるお祭りが行われます。お祭りの時期には遊びに行くのもいいですね。

引っ越してきたばかりの人は、その地域の氏子と言われるのは抵抗があるかもしれませんが、その土地に根付いて数百年、千年にもなる神様に敬意を表し、1年の無事を祈るのも良いことだと思います。地域の特色、歴史を知るためにも訪れてみてください。

なお、この他にも、小さな神社としては南千住の日枝神社、日暮里の猿田彦神社、三河島の宮地稲荷、町屋の原稲荷・・・・・などがありますよ。

初詣は荒川区でも行きましょう。それでは良いお年を!というか、その前にクリスマスもありますね。メリークリスマス!!

何だかわからなくなってきましたが来年またお会い致しましょう。次号は荒川区を構成する5つの地域、三河島を紹介したいと思います。

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