松葉寿司は南千住仲通り商店街の中ほど、路地を少し常磐線側に入ったところにある親子3代この地で店を構える寿司屋さん。
ガラリと戸を開けると、「あらどうぞぉ」と奥さんが迎え入れてくれた。座敷のテーブルには温かいお茶。「お寿司屋さんだなぁ」と実感する。
お店は入って左側にカウンター、右には4人ほどが座れる座敷があり、奥には12人座れる個室もある。年配の方でも寛げるように、と椅子席になっている。
– いつからこの地にお店を?
(ご主人)母親がもともとこの辺りの出身だったんだよね。父親は日暮里なんだけど、所帯を持って戦後に疎開先から戻ってきて、当時この辺りには寿司屋が無かったということで寿司屋を開いたんだよね。昭和26年かな。
開業したときは戦後で、お米が配給の時代でしょ?だから、お米を自由に買えないもんだから、お客さんが来るたんびにお米を1合貸してください、って言ってね。そうやって貸してもらったお米が貯まってからお米を研いで炊いて、って感じでやってたんだよね。米も無くてよく寿司屋をやったよね(笑)。
その頃は仕入れも自転車で築地まで行ってたんですよ。当時は車も信号も無いもんだから、結構行けちゃうんですよ自転車で。あの当時は魚を箱単位で売る感じだったから、自転車に積んで帰ってくるのは大変だったと思うよ。
– ご主人は寿司屋を継ぐことは決めてたんですか?
(ご主人)いやぁ、全然ですよ。やりたくなかったんですよ(笑)。
昔は酒癖の悪い人も沢山いてね。親父がやりあったりしてるのを隣の部屋で聞いてたから「こんな商売絶対やりたくねぇ」ってね。だけど高校生の時に母親が病気になっちゃって、私は四人兄弟の長男だったんで、「お前が店に出て手伝え」ってね。否応無しですよ。そこから給料無しの小遣いだけで始まっちゃったね。
嫌いな世界に入っちゃったわけじゃないですか。だからお店に出ても嫌々やってるのがお客さんにも伝わっちゃうんだよね。それで一回お客さんに怒られたことがある。「お前やる気あんのか?」ってね。
– いつから嫌じゃなくなったんですか?
(ご主人)25だね。その時にうちは埼玉の越谷に支店を作ったんですよ。それで「儲けを全部やるからお前やるか」って言われて、欲に駆られて行っちゃったんだよね(笑)。
で、そこからが苦労ですよ。嫌々修行してたから全然覚えてないでしょ?やり方は分かるけどね。自分一人で仕入れから売上の計算から全部やらなきゃいけないから、そこからが勉強だったね。帳面もちゃんと付けられなくて随分失敗したね。
越谷に行ってみたら周りは全部田んぼでお店やってるのがうちだけだったの。夜になると電気付けてるのがうちだけでしょ。田んぼの虫が全部うちに来るんですよ。それを家の裏に回って殺虫剤をかけるとどさーって落ちる虫を箒でかき集めるともうびっしりでね、泣きましたね。
でも、あの頃はよく働きました。夜は12時か1時まで営業して、朝は5時に家を出るんだよね。だから大体睡眠は4時間。そこからクーラーの無い車で築地に行って2軒分の魚を仕入れて、ここ(※南千住)に来てそれを分けて、自分の店の分の魚だけもって越谷に戻るんですよ。車の往復は毎日3時間。だから働き過ぎでちょっと体を壊しちゃっって、1年間ぐらいぶらぶらした時期もありました。30になる時ぐらいかな。
– 朝は早いんですね。
(ご主人)起きるのは4時半。市場には5時ぐらいに出てるから。帰ってからすぐ仕込みだね。江戸前は全部手作りだから疲れるよね(笑)。コハダとかは塩洗いしてお酢につけて、食べられるのは翌日。だから火曜日のランチに使うってなると月曜日に仕込んでおかないと間に合わないんだよね。だから休みの日も毎日仕込みはします。
魚は痩せてるのはダメなんで、活きがよくて体に油が乗った太ってるやつを選びますが、これも一つの仕事です。倅にも教えてるけど自分で覚えるしかない。魚を持って触った瞬間に、手の感覚でね。固いのと柔らかいのを触って覚えるしかない。
– ランチサービスが人気みたいですね。
(ご主人)昔は日曜日は出前が沢山あってよく売れたんです。それがリーマン・ショックのときに全部止まっちゃって、今日一銭も売上ないけどどうしたのかな?ってね。そういうことが2-3回あって、なんとかしないと、ってことでランチサービスを始めたんだよね。それからはお客さんも随分と変わりました。
(奥さん)女性のお客さんが増えましたね。クチコミがクチコミを呼んで。
もともと初代のときには「納豆巻なんか」という頑固な人でしたから、お昼のサービスをやりたいって言ったときもなかなか許可してくれなかったんです。何とか説得して始めたんですが、最初はせっかく良いトロを買ってきてトロ丼みたいなものを作ったのに誰も注文してくれなくて、、主人と2人で食べながら「なんでこんなに美味しいのに売れないんだろうね?」なんて落ち込んだときもありました。
今では日曜・水曜のランチサービスということですっかり定着して、お陰様でお客様も随分来てくれるようになりました。たまに、お客さんがお昼に沢山来すぎちゃって夜の分のネタが無くなっちゃうときがあるんです。嬉しいやら困っちゃうやら、、ですね(笑)。
他にも川の手祭りとかバラの市とか、イベントにも積極的に出店するようになりました。定番の五目寿司を楽しみにしていただける方も増えてきました。
– 海外の方の写真がありますね。
(奥さん)そこに写真を飾ってあるのは浦和レッズのフォルカー・フィンケ監督なんですけど、ある日突然ふらっと入って来られて、実はそれがうちにとっては初めての外国人のお客さんだったんです。
ですけど、そんな有名な方だとは全然知らなくて、最初は身振り手振りで「スシ?」「オーケーオーケー」なんてやってましたけど、そこからが全然通じなくて困っちゃったんです(笑)。 たまたまお隣さんが来ていらっしゃったんですけど、英語が出来る方だったので通訳してもらって。そこから盛り上がって「初めての外国人のお客さんだから」ということで写真を撮らせてもらったんです。
そしたら後になって他のお客さんがその写真を見て、「あの人、浦和レッズの監督さんよね?」って言われて「えっ」って。私もともと浦和の出身なんですよ。
それからは毎月のように来てくれて、海外からのお友達が来たときにも色々な国の方を連れてきていただいて、随分と気にいって頂きました。お陰様で、それからは外国の方が来ても多少免疫が出来ました。
– だっちゃん市に出すものは?
(奥さん)巻物、お稲荷さん、五目寿司など、イベントではなま物は出せないので、火を通したものを出します。五目寿司は毎回いろいろなイベントに出しているのですが、竹の子や椎茸などの具材を3日間ぐらいかけて煮込んでしゃりと合わせて出しています。いつもご好評いただいています。
– 南千住、仲通りに対する思いを教えてください。
(ご主人)昔みたいに賑やかになってほしいけどねぇ。
子どもの頃は仲通りの両側が全部お店だったんですけど、暮れの大晦日になるとみな夜中の12時まで仕事してたんですよ。人がいっぱいでね。
今でも覚えているのは、美加志屋さんが年越し蕎麦を持っていくのに自転車に乗って箱を何段にも重ねて持っていこうとしたんだけど、自転車がうまく通れなくてひっくり返っちゃったことがあったんだよね。道にどさーって蕎麦が出ちゃってね。あれは記憶に残ってるなぁ。それぐらい人が多かった、ってことだよね。
親子3代続く下町のお寿司屋さん。
寿司屋といえば馴染みのお店でないとなかなか入りにくいものですけど、入ってみるととてもアットホームな空気で気持ちを和ませてくれます。 個室もあるので家族のお祝いやちょっとしたグループの打ち上げなどにも気軽に使えますよ。
<店舗情報>
- 店名:松葉寿司
- 住所:荒川区南千住5-30-5
- 営業時間:月曜定休
- 電話番号:03-3801-6553