荒川の職人さん:7人目「提灯文字・地口絵 村田修一さん」

泪橋大嶋屋提灯店は、大正2年(西暦1913年)から続く提灯文字書きである。歌舞伎の舞台上に見られる花魁道中の箱提灯や傘に施された書き物のほとんどは大嶋屋によるものなので、知らず知らずのうちに目にしたことがあるかもしれない。旧日光街道沿いの工房兼店舗を訪ね、三代目の村田修一さんにその仕事についてお話を伺った。

「文字書き」と聞くと書家のようにひと思いに筆を走らせる姿を連想する人も多いが、提灯文字を書く作業は予想以上に緻密かつ繊細で、現代で言うところのデザイナー的要素を思わせる。水戸から仕入れた無地の提灯を霧吹きで伸ばし、3本の突っ張り棒を中に入れて紙をぴんと張ったら、まずは文字の割付から。中心を定め、文字の配分を決めて印をつけていく。

ここで重宝するのが分廻し(ぶんまわし)だ。決まった幅を保って印をつけたり、円弧を描いたりすることができる製図器具で、「コンパス」という名で馴染みのある方も多いだろう。分廻しで測りながら、一文字の大きさや左右のバランスを決めていく。

市販のものでは添える筆の長さや角度を調節することができないため、村田さんは目玉クリップなど身近なものを駆使して、使い勝手の良いものを自作している。提灯の大きさや作業の内容にあわせて大小3〜4種類の分廻しを使い分けているそうだ。お手製の分廻しが大嶋屋の仕事の要を握っている。

分廻しは家紋を描くのにも役立つ。円を描くのはもちろんのこと、星や植物の入った紋をバランス良く描くためアタリを付けるのにも使われる。「やってみましょうか」とその作業を見せてくれた。3等分、6等分、8等分……いとも簡単に円を等分する。素人がやろうとすると計算や方法にまごついてしまいそうだが、村田さんにとっては朝飯前の日常的な作業。あっという間に均整のとれた柏の葉が現れた。

文字を書くより紋を描くほうが時間がかかるため、提灯文字の修行では文字より先に家紋を練習するのだという。時間がかかるもので先に要領を掴んだほうが良いということらしく、どんな家紋でも描けるようになってから文字書きに入るのが基本なのだそうだ。また、幾何学的なデザインが中心の家紋に対し、文字には書き手のセンスが求められる。正解のあるもので基礎を固めることは修行において非常に重要なことのようだ。

割付が決まったら、文字の下書きに取り掛かる。古くは柳の枝を炭化したものが使われていたそうだが、現在は後から消しゴムで消せる鉛筆のほうが重宝しているという。太く、力強い運筆をイメージしながら、文字の輪郭を描いていく。一般的に、提灯は白や赤など明るい色を下地に文字を書き込む。中に灯りを入れる際、地の色に圧され黒字が細ってしまわないよう、文字は太く大きく書くのが提灯文字のセオリーである。

下書きができたらいよいよ墨を入れる。先の下書きに沿って墨で輪郭線を描く素描き、そして輪郭の中を埋めていく塗り込みだ。これを一筆で書こうとすると墨の濃さにムラが出てしまい、灯りを入れたときに文字が映えない。素描きと塗り込みに工程を分けるのはそのためである。照明に提灯を透かして、色ムラがないか確かめながら丁寧に塗る。防水のため、最後に油を引いて提灯の完成となる。

大嶋屋を語るにおいてもう一つ欠かせないのが「地口絵(じぐちえ)」。地口とは、ことわざや格言などの有名な言葉を似た言葉に置き換えて遊ぶ、江戸の洒落の一つ。地口に滑稽な挿絵を添えて行灯に仕立てた地口行灯(じぐちあんどん)は、江戸後期から明治期にかけて稲荷神社の祭礼である初午の日に飾られ、江戸の町々でも大流行したといわれている。

現在は地口絵の描き手も減り、地口行灯もあまり祭礼で見られなくなった。それでも毎年行灯を楽しみにしている人は少なくなく、現在でも村田さんは地口行灯を描き続けている。毎年2月頃になると吉原神社(台東区)の初午祭で10個、三ノ輪駅近くの千束神社(台東区)の初午祭で100個を超える村田さんの行灯を見ることができる。

大正2年創業、代々家業として営んでいる泪橋大嶋屋提灯店。村田さんは三代目としてこの家に生まれた。「生まれた時から『提灯屋の三代目だ』と言われてきたので、提灯屋を継ぐもんだと刷り込まれてきたというか。洗脳です(笑)」。本人はそう言っておどけるが、幼い頃から「筆は友達」だった。作業場が生活の中にあり、父の働く背中を見て育った。売り物の提灯を汚さないように気をつけながら、新聞の隅に見よう見真似でいたずら描きをしていたのは、今思えば修行の始まりだったのかもしれない。

そして現在は、息子の健一郎さんが6年の修行を経て四代目として家業に就いている。父と共に提灯文字を書くのはもちろんのこと、現在は東京都の「東京手仕事プロジェクト」に応募して、ファッションデザイナーとともに新しい商品開発を行っているという。

鮮やかな黄色の提灯は、半球状にしてモダンなランプシェードに。今や生活必需品となった携帯電話のホルダーに提灯を使えば、着信があるたびに明るく光る。提灯の魅力を誰よりも知る健一郎さんが提案する商品は、生活の場から姿を消しつつある提灯の新たな可能性を引き出そうとしている。「形になればいいなと思っていますよ。古いものなら私もできるから、新しいものはせがれにどんどんやってもらいたい」(村田さん)。

新型コロナウイルスの蔓延により、得意先である歌舞伎も休演が長らく続いたが、ようやく再開の目処が立ち始めた。これまで通りとはいかないが、新しい生活様式に則って、街は少しずつ動き始めている。「この先、提灯文字の仕事がまったくなくなるということはないと思っています。まあ急に増えるということもないだろうけど」と村田さん。これまで通りとはいかずとも、昔ながらの魅力と新しい価値を親子で模索していけば、新しい未来が拓けるだろう。


<プロフィール>
村田修一
昭和30年生まれ。
東京都優秀技能者(東京マイスター)知事賞 (平成18年度受賞)
荒川区登録無形文化財保持者(平成19年度認定)
HP:https://www.arkw.tokyo/blank-kulcz(伝統工芸保存会)

<問い合わせ>
泪橋大嶋屋提灯店
電話:03-3801-4757
住所:〒116-0003 東京都荒川区南千住2丁目29−6


取材:吉澤瑠美
写真:プードル写真事務所トーキョー

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