生徒と走り、学んだ日々。荒川商業高校に野村頼和先生を訪ねた(後編)

この記事は前編からの続きとなります

500部でいいのに2000部作ってしまった「あらかる」


2019年には荒川区で様々な活動を行う大人を紹介する冊子「あらかる」も発行しました。
生徒主導で内容の企画から取材、編集、冊子のデザインまでを行い、区内の印刷所で2000部を作成して販売しました。

2019年、荒川区の大人たちを取材した冊子「あらかる」を企画制作

「企画開始は2019年6月です。それまで2年連続である大学のコンペに生徒と一緒に参加していたんですが、2回目の企画が選考で落とされて「うちの子達をなんで評価しないんだ」って悔しくて悔しくて。それで見返してやろうと思って考えていた妄想の一つがタウン誌でした。」

荒川区で多くのプロジェクトを実施している中で関わった面白い人達。その人達にもっと若いときに出会っていたら自分も変わっていたかもしれない。

そんなことを話していたら生徒から「いいじゃんそれ。やろうよ。」と発言が。そこから企画がスタートしました。
6月中には取材を開始し、8月には見本が完成するというハードスケジュールで一気に企画は進行。
チームは連日夜遅くまで、熱気に浮かされたようにこの企画に取り組みました。

連日浮かされたように制作に取り組んだ。

「振り返るとスケジューリングがおかしいんですよね。冷静に考えたら無理だろって。でも、だからこそ出来たんだと思います。生徒も後で「あの時わたしたちはおかしかったよね」って言っていました。」

折角だから印刷も荒川区の印刷会社に依頼しようということになり、生徒と一緒に印刷会社に出向いた先生。
当初の印刷予定は500冊でしたが2000冊刷ることになります。

「500冊なら15分ぐらいで印刷終わります、って言われたんです。でも、どうしてもバンバン印刷されている光景を生徒に見せたくなっちゃったんですよね。。」

生徒に大量印刷されている光景を見せたい思いで勢いで2000冊お願いしますと依頼し、私費で印刷してしまった先生。

「結局1000冊しか売れなくて大量の売れ残りが出来ました。。生徒に申し訳ないって思われてます(笑)。」

学校教育なんだから500冊で良かったんだけどな。。つい頼んじゃったんだよな。。
そんな風に小声でぶつぶつ言いながら首をひねる先生。こんな先生に出会った生徒は幸せだなと思いました。

「生徒に見せたくてつい2000部頼んじゃったんだよな、、」とぶつぶつ(笑)

 

教師としての原点は定時制での勤務。いつでもあの時の自分で生徒に接することが出来る自分でいたい。


1995年に荒商の定時制で勤務を開始した野村先生。
定時制には様々な境遇をもった生徒が夜の10時まで授業を受けにやってきます。

様々な境遇の生徒が学んできました。

「それまでの人生で会ったこともないような境遇の生徒達ばかりでしたが、みな立派でした。すごいなって思いました。僕が教師生活一年目で始めての給与が出たとき生徒が「給与出たんでしょ?」って聞くんです。何を言われるのかと思ったら「ちゃんとそれは親に渡したほうがいいよ」って言うんですよね。」

それを言った生徒は19才で家族全員の家計を支えていました。
卒業後は会計事務所に就職します。

「だから人生の実感を伴った言葉なんです。理解するのに少し時間がかかりましたが、この子たち立派なんだなってその時気づきました。」

教師である以上、言うべきことは言わなければいけない。
でも厳しい環境で様々な人生経験を積んできた生徒達からすれば先生の言葉に重みを感じられず、反発も生まれがち。
言った側の責任も生まれるので、相手の子と一緒に過ごす時間が増えていく。
一つのエピソードを教えてくれました。

「病気の母親の存在をずっと隠していた子もいました。お母さんと向き合ったほうがいいんじゃないか、って本人に伝えました。最後は納得して帰るのですが、次の日になると厳しい表情に戻って母親には会わないってなっちゃうんです。」

実はその生徒はすでに結婚していました。
先生と一緒に母親に会いに行こうと聞いた彼の奥さんから後できつく怒られます。

「ここは商業高校ですよね?だったら簿記を教えてください。人生を語る必要はありません。私達でやりますから」って言われました。」

沢山の生徒が行き来した階段

絞り出すように当時の記憶を話す先生。
あれが、教師としての原点かなと話してくれました。

「いつでもあの家族に誠実に接することができる自分でいたいです。彼がしんどくて野村先生どこにいますか?って聞かれた時に、いつでも「親に会いに行こう」って言ったときの自分であるようでいたい。そう思っています。」

荒商の校歌

今でもその生徒と年賀状のやり取りは続けているそうです。

 





高校を「楽しかった」と答えられる場所にしたい。


学校の授業で大切にしていることも聞いてみました。

「しんどそうにしている子どもにペースを合わせています。そうすると教室が優しい雰囲気になります。トップの生徒に合わせると教室はギスギスした雰囲気になります。子どもたちはそういうことを良く見ています。」

沢山の生徒が登下校した玄関。

進捗が遅い生徒に授業のペースを合わせると最初は進みの早い子からは反発も生まれます。
それでもブレずにやっていれば、1年も経てば納得してくれると先生は言います。

「ガンガン進めたい子は自分でやってもらえばいい。自学自習で。大事なのはそれを止めないことです。学校教育ではこれまで全員が横一列にということが正しいとされてきました。でも、これからは教師が何か言っても『どうしてそうなんだろう』って思う子どもを伸ばさないといけない。特に高校はそういう場所でなければと思っています。」

授業はしんどい子に合わせる。進みたい子はどんどん進めばいい。

文化祭や体育祭だけではない、授業を含めた学校の日常生活の楽しさを感じてほしい。
日々の学びを楽しめる場所にしたい。

「昨日の自分、今日の自分、明日の自分、と変化している自分に気づくことができれば学校って楽しいんですよね。成長している。できなかったことができている。そういう瞬間が楽しい。高校ってどういうところだった?と聞かれて「楽しかった」って答えられる場所にしたいですね。」

高校を、楽しかった、と答えられる場所に

いつもエネルギッシュに生徒を引っ張っているようにも見える先生ですが、実際はそうでもないんだそうです。

「一人だったらずっと小説読んでるほうが落ち着く人間なんです。生徒と寄り添うエネルギーしかないんですよね。生徒と一緒にひたすら焚き火を眺めたり、無目的な時間を過ごすことも大事にしています。」

先生の憩いの場でもある荒商の中庭

 

人生の補助線を引いてくれる人はいくらいてもいい。


いつも生徒に向き合っているように見える先生ですが、過去には先輩の先生方から厳しい指摘も受けたこともあるそうです。

「お前のやっていることはただの面倒見のいい先生だぞ、と言われました。教師の仕事は魂の世話をすることだぞと。ずっと頭に残っています。」

面倒見のいい教師でなくてもいい。

生徒が本当に危ない状況に陥っているときに嫌なこと、耳障りなことを言ってでも支えられるのが教師。

荒商の閉校に伴い、先生は新たな学校へと異動する予定。
今、学校という枠組みを超えた活動にも関心があるのだそうです。

「長年教師をしてきたので人の話を聞いたり伝えることは多少長けているんじゃないかと思ってます。お金のことなど、大人にも伝えていきたいし、伝えることによってどんな変化が起きるのかを見てみたいという気持ちはあります。」

学校で培ってきたことを大人にも伝えていきたい。

教員としての可能性を見てみたい。これまでいろんな方に助けてもらったのでそのご縁をちゃんと還元していきたい。
そういう気持ちが膨らんでいるようです。

「人生の補助線を引いてくれる人って、学校に限らず、もう少しいろんなレベルでいてもいいと思うんです。お金で苦しんで死ぬとかとんでもないし、困り事のようで実は解決していることって沢山ありますよ、ということを伝えていって、世の中の生きる選択肢を増やしたいんです。」

柔道着を着て。

荒商という場所で先生と生徒が作ってきた物語。
そこで生まれ、熟成されてきた人生を楽しくする学び。

これからそれが荒商を巣立ち、新たにどんな人との繋がりを生み、新たな笑顔を生み、新たな学びに繋がっていくのか。
聞いていてとても楽しみになりました。

荒商の精神は永遠に!

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