あの人気プラモデルのメーカーは荒川にありました
「日本の名城」シリーズなど、誰もが一度は目にしたことがある人気プラモデルを作り続ける模型メーカー、童友社。
昭和10年(1935年)の創業以来、荒川から多くのプラモデルを生み出しています。
そんな童友社が区からのオファーを受け、ゆいの森あらかわで「プラモデルとパッケージ原画展 ~昭和のプラモデルからドローンまで大集合~」と題した展示会を、9月9日(日)まで開催中です。
童友社の70年近い歴史のなかで作られたさまざまなプラモデルと、パッケージ原画を展示。日本初のプラモデルの復刻版や、昔懐かしいあのキャラクターの原画に出会えます。
紙のおもちゃからスタートした、童友社の歴史
今回の展示会にあわせ、童友社の内田悦弘相談役、内田宗宏社長、内田英伸専務にお話を伺うことに。老舗企業の経営陣インタビューとなるため緊張して臨んだところ、終始なごやかな雰囲気で、現代にいたる歴史から熱心にお話しくださいました。
創業当初は、めんこ、プロマイド、塗り絵などの紙製玩具メーカーだった童友社。駄菓子屋さんに商品を置いてもらっていたものの、代替わりによる駄菓子屋さんの減少により、商品の販路が激減する窮地に立たされることに。そこで、当時注目を集め始めていたプラモデルに業態を変えていくことを決断します。
とはいえ、未経験の業界で金型を作るところからスタートするのは、至難のわざ。廃業した模型メーカーから金型を買い取ることから始めたと言います。
最初は開発費を抑え、回転率を上げるために、手のひらに乗るようなサイズのバイクや船の模型作りから着手していきました。
会社の転機となったのは、紙製玩具の製造をやめてプラモデル専業となった翌年の、昭和40年(1965年)のこと。日本で人気となったスロットレーシングカーのブームに乗るとともに、オーストラリアへの大量輸出に成功。
プラモデルメーカーとしての基礎を確立します。
「われわれから、これを売っていきたいという商品開発はしていない。時代とお客さんのニーズにあわせて物作りをしていきたい」という内田社長。
他社から金型を仕入れノウハウを研究するとともに、生産ラインを拡充して独自の新商品によってラインナップを増やしていくという手法により、プラモデルファンの心をつかんでいきました。前述の「日本の名城」シリーズが生まれたのも、この頃。手軽に作れるもの、作りごたえのあるビッグサイズ、見た目に豪華な金メッキバージョンなど、ニーズごとの商品展開により、今でも多くのファンに愛される人気商品に育ちました。
体験イベントは即満員に! 70年の歴史を味わう展示会
今回の展示会でプラモデル同様に見どころとなっている、たくさんのパッケージ原画。これらの作品は、少年漫画で挿絵を描いていたり、直に売り込みに来たりといったさまざまなイラストレーターの手によるものです。
写真をもとに描かれたもののほか、オリジナル商品などは、プラモデルの図面から作画されたそう。イラストレーター別、商品別に展示されており、かつてプラモデルを作りながらその世界観に思いを馳せた方には、とても見ごたえのある展示になっています。
この催しは事前告知のツイートでも話題を呼び、会期中に開催される全4回の「プロモデラー オオゴシ・トモエによるプラモデルワークショップ」は、募集開始から数時間で定員いっぱいになるほど注目されました。
荒川から生まれる、模型の今昔。「プラモデルの楽しさは、自分の手で作り上げ、考えながらさらに手を加えられるところ」と内田社長は語ります。
この夏、ゆいの森あらかわで、きっと思い出のプラモデルと再会できるはずです。