荒川の職人さん:8人目「江戸指物 根本一德さん」

年に一度、日本全国の伝統工芸士が集結し匠の技を競い合う日本伝統工芸士会作品展。2011年、その頂点とも言える「経済産業省東北経済産業局長賞」を受賞した職人が荒川区にいる。指物師・根本一德さんはこの道に足を踏み入れて50年、今や江戸指物三人衆に数えられる名工である。

指物とは木組みで作られる木工和家具やその技術のこと。一説には、金釘を使わずほぞとほぞを指し合って作られることから「指物」と呼ばれるようになったと言われている。京都、大阪、江戸(東京)のものが有名で、中でも江戸指物は江戸の街の隆盛とともに発展し、木目を活かした静かな美しさと表に出さない緻密な技が特徴だ。

そう聞くと縁遠い伝統工芸のようにも感じられるが、指物師はどんな物を作っているのだろう。根本さんに尋ねると、何でも、という答えが返ってきた。「たんすに限らず鏡台、棚、小引き出し、座卓、木で作られるものなら何でも作るのが指物師です」(根本さん)。

根本さんが指物の道に進んだのは17歳の頃。親方と仰ぐ島﨑國治氏は、江戸指物を美術工芸品の域に高めた大家・前田桑明の技を継ぐ職人だった。初めて門を叩いた日に見た光景は忘れられない。玄関先で納品を待つ美しい鏡台を見て「これを自分が作るのか」と愕然としたという。

修業は親方の家に住み込みで9年、通いで5年続いた。昼間は親方の背中を追い、仕事が終わると兄弟子と遅くまで親方の仕事を研究する日々。「親方やおかみさんのことも、もちろん仕事も好きだったのでちっともしんどくなかったですよ。親方は大変だったろうけど」。根本さんは笑いながら回想する。

昭和60年、親方が亡くなったことをきっかけに独立。今年で37年目を迎えるが、根本さんは今も親方や兄弟子の仕事ぶりを思い出しながら道具を持つ。

指物師の仕事は幅広く、木取りと呼ばれる板の切り出しから表面の漆塗りまで、全工程をすべて一人で手掛ける。デザイナーであり職人、指物師はオールラウンダーでなければならない。木取りの際、幅と長さを決めて刃で線を描く罫引き。木口台、摺り台を当てて刃を調節しながら鉋(かんな)を当てる。長台鉋、小鉋、面取鉋……鉋だけでも十種類以上。作業に応じて大小さまざまな道具を使い分け、一人前に道具を使えるようになるまでに10年はかかるという。

道具を見れば仕事への愛情が分かる、と多くの職人は語るが、指物師、こと根本さんの道具は誰のどんな言葉よりその本質を物語っているように見える。工房には数え切れないほどの道具が壁に棚に所狭しと並ぶが、どれもすぐに使えそうなほど手入れが行き届いている。道具箱を開けるとサイズ違いのノミがぎっしり詰まっていて、そのうちの一つを拾い上げると、小さな刃がきらりと鋭く光った。

道具は捨てない、それが根本さんの信条である。刃が磨り減って使えなくなった道具も、形を変えれば別の道具になる。注文に応じてあらゆる木工品を作っていると、決まった形や大きさの道具だけでは不足も生じてくる。新しい品物を作るために、道具を作るところから始めることも少なくない。

道具箱の中には、50年近く手元に置いている道具もある。入門したての頃からの相棒だ。親方の使っていた紅葉材の当板も、工房では今も現役で仕事を担っている。「最後まで役目を全うしてくれるんです。道具作りも楽しいですよ」と話す根本さんが道具に向ける眼差しは優しい。

江戸指物でもっとも難しい工程は、木材を選び材料を切り出す木取りだという。一口に木材と言っても、強度や木目の模様は樹種によって大きく異なる。作るものの用途や大きさを考えて最適な材質を選ぶ必要があるため、木の種類、特性を知ることが指物師には求められる。

根本さんの作品を見ると、側面から天面にかけて木目がつながっているように見える。違和感なく、自然が作り出したしなやかな曲線美を余すことなく作品に取り入れられるのは、こだわった木取りの賜物だ。

板材の木目を活かし、無駄のないように切り出すにはどうすればよいか。この場合はこう取ったほうがよい、なぜなら、と親方に一つ一つ丁寧に教わってきた根本さんだが、名工と呼ばれるようになった今でもなお「まだ正解はわからない」と言う。二つとして同じ木はない。毎回真摯に木と対峙する職人ゆえの、永遠の課題である。

指物の寿命は非常に長く、ざっと100年は使うことができる。すると、作って終わりとはいかないのがまた難しい。経年によって起こる状態変化、特に木の収縮による反りや割れを見越して設計するのが腕の見せ所でもある。

特に現代は空調設備が整った分、より収縮が起きやすい環境にあるのだそうだ。修業時代の計算では合わないため、培った経験を頼りに一つ一つ考えながら設計している。「この仕事ぶりは親方にも『よくやってるな』と言ってもらえるかもしれませんね」と笑った。

決して安い買い物ではないからこそ、注文にはその人の暮らしや人生が垣間見える。一軒家を買う予定がマンション住まいになったため、家具一式を指物で揃えた方。毎日手を合わせる位牌が目の高さと合うように設計された仏壇。若いビジネスマンはオーダーメイドで作った大事な革靴を入れるための特別な箱が欲しい、と言ってやってきた。使う人の生活を想像しながら指物は作られる。彼らの思いに応えるためにも、根本さんは決して手を抜かない。

今、根本さんのもとには、一人の弟子が通い詰めてその技を継承しようとしている。西岡さんは根本さんの指物に惚れ込み、会社を早期退職してこの道を選んだ。修業を始めて2年目、「親方が簡単にしている作業も自分にはなかなかできない」と悔しさを見せるものの、親方の作品の話になると途端に目が輝きだす。飲み込みの早い青年期はとうに過ぎているが、西岡さんの指物に対する思いは根本さんのそれを早くもしっかり受け継いでいるようだ。

根本さんは「親方の気持ちがやっとわかってきた」と言う。自分の時間を割いてでも人に教えることが、自分の成長にもつながるということを実感しているのだそうだ。今でも「まだまだ」と謙遜する一方で、「少しは親方に近づけたかな」と本音を漏らした。

50年間憧れの親方をがむしゃらに追い続けてきたその人も、気がつけば「親方」と呼ばれるようになっていた。こうして伝統は生まれるのだ。


<プロフィール>
根本一德
昭和27年生まれ。
江戸指物伝統工芸士(平成11年度認定)
荒川区登録無形文化財保持者(平成14年度認定)
HP:http://edosashimono.com/

<問い合わせ>
電話:03-3801-4676
住所:〒116-0013 東京都荒川区東日暮里2丁目44−10

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