荒川の職人さん:1人目「富士製額 栗原大地さん」

底冷えする2月の土曜の朝、薄暗い事務所の奥から青年が顔を出した。「どうも栗原です、今日はよろしくお願いします」職人と聞いて想像していたのとは裏腹に、ごく普通の今どきらしい青年だった。

天井の高い工房は2階建て。材木店の倉庫のように長い木材が何百本も立てかけられている。まずは工房を案内してくれた。

富士製額 #1

富士製額の特長は木地から額を仕立てるところにある。一般の工房にない広い倉庫には、得意先のオーダーにも柔軟に対応できるだけの木地が揃っている。鉋をかけ、枠状に組み上げてから装飾する「本縁」ができることは伝統工芸にこだわるこの工房の強みでもある。

府中出身の26歳。教師の家庭に生まれ育ったが、自身はものづくりの世界に進んだ。「服飾の専門学校に行きたかったんですけど、大学には行っとけと言われて」。四年制大学を卒業後、趣味のギャラリー通いが高じて製額の世界に入った。「古典よりも近代美術が好きで、小さな画廊によく足を運んでいたんです。アーティストや画廊って額にこだわりがある人が多いので、額には昔から興味がありました」

右も左も分からないまま入門した栗原さん。当然、初めから順風満帆なわけではなかった。

「初めの1年は目地を胡粉で埋める地塗りの作業かヤスリをかける作業しかさせてもらえなかったですね、あとはひたすら見るだけ。辛かったですよ」風が吹けば金箔が吹き飛んでしまうので夏も窓を閉め切ったままで作業する。エアコンや扇風機をつけることもままならない。夏は暑く、冬は寒い。ヤスリで手の皮が擦り切れるのも日常茶飯事だ。それでも、塗料や薬剤でパリパリになったエプロンをかけ、仕事を続ける。「好きだからですかね、辞めようとは思わないです」

富士製額 #2
栗原さん

金箔の接着にはワニスを溶剤で薄めたものを使う。

古くは刷毛で塗ったのだろうが、工房では均一に塗るためエアブラシで吹き付ける。ワニスには色がない。エアブラシの先からワニスが噴き出ているのは見えるが、どの部分にどれだけ吹き付けられたかは分からない。べったり塗れば乾くまでに一日かかり、金箔にも滲み出てしまう。足りなければ当然金箔が張り付かない。

「もう感覚ですよね、この辺りは」どれだけ塗れたか、どれだけ乾いたか、季節や気候によっても変わる適量適度を見極める目安は言葉では伝えられない。栗原さんが経験から日々学び取っているものだ。

富士製額 #3
エアブラシを操る栗原さん

金箔を貼る作業を、少しだけ体験させてもらった。

手のひらにそっと乗せられた金箔は軽すぎて息が吹きかかるだけでもゆらゆら踊る。ピンセット型の竹箸で金箔を軽く挟み、額縁の端から段に沿って撫でるように付けていく。ワニスに付くと貼り直しはできない。恐る恐る貼り付けてみたが、その迷いが表れたように簡単に破れてしまった。

「難しいですよね、そんなに簡単にできちゃっても困るんですけど」と言いながら栗原さんが淡々と貼る金箔は迷いなく額に貼り付き、木製の額がまるで元から金属製だったかのように姿を変えた。

富士製額 #4

64歳、62歳のベテラン職人と栗原さん、3人きりの作業場。これまでにも職人はいたようだが、みな辞めてしまったらしい。年の離れた同僚たちのことを栗原さんは「師匠」と言う。仕事は勿論、物事の考え方や振る舞い一つをとっても師匠方から学ぶべきことは多い。その一方で、65歳で定年退職する師匠方と働ける日々はそう多く残されていない。

「目の前であれだけの仕事をされると、生意気かもしれませんけど正直悔しいですね。なんで俺にはできないんだろう、って思います。まだまだなんで当然なんですけど」栗原さんにとって、師匠方は目標であると同時にライバルでもある。

最近は敢えてあれこれ聞かないようにしている、という栗原さん。「(師匠方は)聞けば教えてくれる人たちなんですけど、このままじゃ一生聞き続けることになっちゃうな、と思って」自分の判断を信じて市場に出し、売れ行きや反応からその判断や腕前を内省することを繰り返している。

富士製額 #5

美術作品やアーティストが光なら、額は陰の世界だ。作品より額が目立つことがあってはいけない。作品に厚みをもたせ、作品の魅力を引き立てる額こそ良い額といえる。

「絵が売れ残ると『額が悪い』って言われ修正依頼が入ることもあるんです。だからどれが売れているか、どれが残っているかを見たりしますね。絵が入って初めて『これは良かった』とか『ここはイマイチ』とかいうのも見えてきますし。絵が売れていくのを見るとやっぱり嬉しいです。また頑張ろうっていう原動力になります」

「絵があっての額、額だけでは成立しない」というのはこの取材中に何度も出た言葉だが、額によって絵が引き立つのと同時に、絵によって額の魅力もまた引き出される。栗原さんはそれを楽しんでいるようだった。

工場での大量生産が主流になりつつある中、敢えて伝統工芸を継承する意味とは何か。「部屋に普通の写真を飾るぐらいなら100均の額でもいいと思うんです。僕もそうしてますから。でも伝統工芸だからこそ出せる魅力もある。こうして手作業にこだわって作った額の良さは残していくべきだし、そのためにももっと知ってもらいたい」

寒さと緊張で固まっていた表情も、インタビューを終える頃にはすっかりほぐれて笑顔を見せた。

富士製額 #6

「ピースとかしてたら職人っぽくないですよね」堂々とピースができるようになった頃には、きっと素晴らしい作品を世に送り出しているのだろう。


<取材協力>

  • 企業名:株式会社富士製額
  • 場所:〒116-0001 東京都荒川区町屋6丁目31-15
  • 電話:03-3892-8682

※荒川102の取材情報は地図からも探せます。ぜひご活用ください。>>> 「荒川102取材マップ」


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