荒川区民は江戸っ子なのか?
生粋の東京の人間を「江戸っ子」と呼びますが、果たして我々、荒川区民は江戸っ子なのか検証してみたいと思います。 東京23区に生まれた人が全て「江戸っ子」かというと、そういうわけではなく、葛飾柴又生まれの江戸っ子とか、渋谷生
生粋の東京の人間を「江戸っ子」と呼びますが、果たして我々、荒川区民は江戸っ子なのか検証してみたいと思います。 東京23区に生まれた人が全て「江戸っ子」かというと、そういうわけではなく、葛飾柴又生まれの江戸っ子とか、渋谷生
久しぶりに記事を書きます。時期が時期だけに初詣の記事を書きました。 荒川区生まれの人はもちろん自分の住む地域がどこの神社の氏子であるか知っているでしょうけど、転居してきた人は自分の住む地域がどこの神社の氏子町域なのかわか
地域紹介ということで前回は尾久の話を書きました。今回は宮地について。前回の続きで尾久の近現代の歴史から尾久について迫ってみようと思ったのですが、師走の忙しい中でじっくりと書く時間が取れなかったので次回に書こうと思います。
桜が散ったと思ったらあっという間に暑くなってきました。 荒川区の風物詩と言えば桜の後にバラの季節がやってきてお祭りが続きます。江戸の三大祭とも呼ぶべき神田、三社、山王もこの季節。荒川区では元三島神社、石浜神社、胡録神社、
ぶっちゃけ自慢しちゃっていいんです南千住 歴史編(後編 その1)を見る > 4. 汐入地区 4-1. 汐入の発展 汐入について書こうと思います。 汐入村は上杉謙信の家臣であった高田氏が戦に敗れ、汐入の地に落ち延びて
ぶっちゃけ自慢しちゃっていいんです南千住 歴史編(前編)を見る > 3. 明治から昭和にかけて工業が大発展。 3-1. 水利を活かして大工場が進出 千住南組、通新町、三ノ輪村、地方橋場村をベースに下谷
2. 明治維新、そして現在の南千住の成立へ 廃藩置県では豊島郡であった荒川区域は東京府に、足立郡であった足立区域は小菅県になりました。千住宿は小菅県になったのですが、千住南組も千住宿だということで一時、小菅
地域のことを知ることは荒川区のオキテとしては当たり前のこと?三河島(荒川)、日暮里と続いた地域紹介。第三弾は南千住です。7月号と8月号に渡って続けてお届けします。 荒川区民以外からは足立区の一部だと思われることもある南千
今月の荒川区のオキテは、荒川区と言えば「バラ」?荒川区とバラの因果関係についてお話をしようかと思います。荒川区の花が「バラ」?荒川区の木が「バラ」?早合点してしまいそうですが、そうではありません。荒川区の花は「ツツジ」、
まだまだ続く日暮里シリーズ その③日暮里駅から繊維問屋街、さらに三ノ輪橋方面へ 日暮里から根岸へ 東日暮里方面を紹介します。日暮里駅から根岸の方に向かってみましょう。 駅前にある