荒川区のキホンシリーズ。荒川区をよく知って地域に誇りを持ってほしい。そんな思いを込めてこのシリーズを書いています。「町屋の矜持」ということで1月に町屋の歴史や未来予測について書きましたが、多忙で記事が書けなかったり、お祭りの記事を書いたりしていたので続きを書くのが遅くなってしまいました。
前回は尾竹橋通りの東側のお店や名所を紹介いたしました。今回は尾竹橋通りの西側を紹介しようと思います
都電の町屋駅から尾竹橋通りを北へ進みます。一本目の角を左に曲がれば流体力学があります。なんでも鑑定団に出演しているスポーツグッズ評論家の前野重雄さんのお店として有名ですね。
ちょっと路地に入った、もつ焼き小林は昭和21年から続く、もつ焼き、串煮込みを食べて、〆にラーメンという有名なお店です。
さらに進んでいくと原稲荷があります。創建年代は不詳ですが境内には1647年に建立された庚申塔があります。町屋の住人は素盞雄神社の氏子で、天王祭の本社神輿は原稲荷で一夜を過ごし、また翌日には威勢よく担ぎ出されます。原稲荷はもとの町屋村の鎮守でもあり、天王祭とは別の独自の祭礼も行います。町屋住民の生活に根付いた神社と言えるでしょう
都電沿いの道に戻ります。
元下駄屋で、今はアフリカの雑貨や洋服を売っているアフリカ屋があり、その隣にあるもんじゃの丸吉は出汁に毎日2時間煮込んだ鶏がらスープを使用する。もつ焼きと言えばリーズナブルで美味しい亀田もつやき店がありますね。先に進めば古民家的なたたずまいの伴。ここもいろいろな料理が美味しいです。エルヴィスプレスリー満載の喫茶店、ファントムでピーナツバナナサンドを食べてみるのもよし。
町屋二丁目電停のすぐ前にあるのが「らーめん琥珀」。大勝軒系のつけめんはボリュームあり。並んで竹隆庵岡埜町屋店。定番のこごめ大福、とらが焼きの他にも町屋店オリジナルのゆうゆう都電というお菓子もあります
町屋二丁目電停を右に曲がります。
慈眼寺は1598年に建立された400年続く古刹。本尊の朝日薬師は眼病や産婦の乳の出がよくなるなどの霊験があるといわれ特に女性の信仰を集めています。細い道を入り込んでいけばアド街で紹介された銭湯のタイムリゾートがあります。
住宅地の中の公園には実揚遺跡があります。弥生時代の遺跡なのですがこの遺跡の貴重なところは高台の上にある遺跡ではなく、低地にある遺跡というのが珍しいところで、古代人の水辺に近いところでの暮らしを知ることができます。このあたりの幾つかの旧家には板碑が伝わっており荒川区の文化財になっています。低地の微高地に古くから人が住んでいたことが分かる場所でもあります。
ここから四峡の方に進んでいきます。
鈴木製作所は面白い名前のカフェですが、もともとは板金工場だったものを名前をそのままにカフェにしたものです。またこの近くにある懸巣工房喫茶室も古民家を利用した個性派カフェです。
近くにあるJUNJUNは1個100円のいろいろなライスコロッケを売ってます。おやつにイイかもね。
尾竹橋通りに戻りましょう。
洋菓子のトリゴエソラは無くなってしまいました。2014年に放送されたアド街京成町屋の1位は「おかず天国」そこで惣菜店がいくつか紹介されましたが尾竹橋通りのひとしおもその一つ。町屋は焼肉激戦区だけに通り沿いにはいくつもの焼肉屋さんが並び、美味しいもんじゃ屋さんもある。南中のあごラーメンもよだれどりも美味しい。
広島焼きのあるもんじゃ屋さん「くるか菜」を越え、往年のアイドルグループ、フィンガー5の三男の方がやっている「いちゃりバー」の入っているライオンズプラザの角を曲がると、朝日屋鯨井商店。おぼろ豆腐元祖の店と言い東京都の豆腐製造コンテストでも優勝している店。北に進めばもんじゃのダボハウス。もんじゃ以外の食べ物も充実。お好み焼きでは店主のマヨビームが見られる。
その近くには、個性的な古民家カフェ懸巣工房喫茶室。五峡小学校の近くには龍福寺。ここは昭和元年に成田山新勝寺の分霊を深川不動まで運び、それを町屋に移して建立したので町屋不動堂とも呼ばれた。隣接する前田鉛筆製作所はかつての荒川区の主力産業であった鉛筆作りを伝える。荒川区内には最盛期140軒、全国の84%を占める鉛筆業者がいたが現在が前田鉛筆製作所を含めて10軒ほど
尾竹橋通りに戻ってトロぴらんど。日本最大級の熱帯魚専門店。
交差点に残る荒木田の地名はこの付近がかつて荒木田大根の産地であったり、良質の壁土であったり、相撲の土俵に使われたという荒木田土の産地であったり、スミレやレンゲソウが咲き乱れた荒木田原に通じます。
少し進むと江川堀の跡。今は暗渠で道路になってますがは尾竹橋通りを交差するところにはかつての橋の親柱が残っています。一部は江川堀プロムナードという遊歩道にもなっています。ここより北は以前は尾久町でした。江川堀が町屋と尾久の境界であったのですが、現在は江川堀より北も町屋の領域になっています。フリーダムカスタムギターリサーチは世界の一流ミュージシャンが使用するギターを制作しています。
町屋のどん詰まりの最北は尾竹橋。これを越えれば足立区です。尾久と竹ノ塚を結ぶから尾竹橋通りで尾竹橋というのではないかという人も居ますが違います。江戸時代にこの地に隅田川を渡る渡し船があり、三軒の茶屋があったそうです。この茶屋に「おたけ」さんという飛び切り美人がいて有名になり、この渡し船が茶屋の渡し、おたけの渡しと呼ばれたそうです。昭和9年に尾竹橋が架橋される際に「おたけの渡し」に因んで尾竹橋と名付けられたそうです。後世にまで名前を残す美人はどんな方だったのか見てみたい気もしますね。現在の橋は平成4年にかけ替えられたものです。
尾竹橋の手前を曲がります。
今は六中と合併して原中になりましたが、かつてあった尾竹橋中学は草彅剛主演のドラマ「先生知らないの?」の撮影に使用されました。この付近には「新渡し」という渡し船がありました。西新井大師への参詣者で賑わう茶屋の渡しに対して、新渡しと呼ばれたのでしょうか?旭電化通りまで戻って松崎大包堂は木版画刷りの工房。機械印刷にない質感が圧巻です。住宅街の中にあった100円もんじゃの信八屋。昭和38年から続きラメックを使用したもんじゃなど、なかなか良い感じでしたが廃業されてしまいました。
ムラマツ製菓は創業100年以上のウイスキーボンボン発祥の会社で小売りもしてくれます。
ここから再び旭電化通りに出ると尾久の原公園の手前までが町屋です。この先の尾久は次回以降紹介していきます。尾久の原公園の前を真っ直ぐ明治通りに向かう疎開道路は歩道も広く電柱も地中化されていて、荒川区にしては広々と歩きやすい道で、ゆうゆう散歩で訪れていた加山雄三も誉めていました
この道沿いにあるのが「ぬりえ美術館」きいちのぬりえで知られる蔦谷喜一のぬりえが見られたり体験できる美術館です。
娯楽の少ない時代に子供たちが目を輝かせながら夢中になってぬりえをする姿が目に浮かびました。
素盞雄神社の天王祭で町屋住民が宮出しをする起源となった、洪水の時に神輿を得た佐久間杢衛門の子孫が住まわれていたり、このあたりは荒川区の文化財に指定された板碑(中世に供養塔として造立された石塔婆の一つ)を所蔵する家も何軒かあります。また弥生時代末の遺跡である実揚遺跡もあることから町屋界隈でもこのあたりが微高地で古くから人が住んできたことが分かります。町屋原住民のルーツはこのあたりにあるのかもしれませんね。
町屋の矜持ということで1回で書き切ろうと思っていたのですが、時間の都合でお休みを頂いたり、お祭りの記事を差し挟んだりということでこま切れ連載になって半年も掛かってしまいました。
町屋人のルーツに迫ってみたり、伝統を継承することや、美味しい店がたくさんあること(紹介したいお店は多かったのですが書き切れませんでした)など誇れるものも多い地域であることを自覚し、伝統や地域を担っている存在であると誇りを持って頂きたいなと思って記事を書きました。次回からは尾久を紹介していきたいと思います。