8月に、「あら坊ハンドタオル」の発売が開始されました。
このタオルは、荒川区西日暮里にある、障がい者支援事業者である「作業所スカイ」さんの独自企画による新商品です。スカイさんから連絡を受け、西日暮里駅から町屋方面に向かい徒歩5分の作業所におじゃましました。
当日は7名の方が職業指導員の渡邊恵梨さん、山内秀一さん指導の元、あら坊ハンドタオルを袋に丁寧に詰め、シールを切り、袋に貼り、配送用の箱に詰めていました。静かな環境でみなさん集中して作業を行っていました。
作業の様子を見ていると間もなく、「区役所まで納品に行きます」というので作業所の3人と一緒に車で荒川区区役所地下の販売店まで納品に向かいました。納品にも工夫して、上のラックの方が売れそうだったので、置かせていただきました。売れますように、と念じながら・・・。
納品後、作業所に戻り事業についてお話を伺いました。対応してくださったのは、作業所管理者の新井基司さんとサービス責任者の山内秀一さんです。
– 「作業所スカイ」について教えてください。
この事業所は、障がい者の方にサービスを提供する、就労支援施設といいます。
就労支援事業には就労移行支援、就労継続A型、B型の3つのタイプの事業者があり、就労移行支援事業は、そもそも就労するための学習を2年間提供する場所です。
就労継続A型は、障がい者の方と最低賃金に基づく雇用契約を結んで、業務を提供し、賃金をお支払する場所となります。B型の場合は、雇用契約を結びません。働くという機会を提供するということに、より重きを置いています。
社会福祉法人すかいの本部は日光市足尾町にあり、1985年に障がい者支援施設として開所しました。
スカイという名前は、足尾山地にある皇海山(スカイサン)から名付けられています。足尾の障がい者支援事業ともつながり、足尾町で育てたポット苗花を荒川区の関係者に売ったり、区内の花壇にも使ってもらったりしています。
荒川区の作業所は平成25年10月に開所しました。ここは就労継続支援A型の作業所でして、定員は10名です。企業への就労が困難な方々に、就労に関する必要な知識や能力を高める支援を行うことで自立と社会経済活動への参加を促進し、一般就労に繋がるように取り組んでいます。
この事業所では、主な作業内容として取引企業からの委託を受けた作業を行っており、主な委託内容は紙類及び立体物等の加工。販促品の仕分け、組立、検品、封入等などがあり、いわゆる「内職屋」さんと思っていただければいいです。また、自社オリジナル商品の企画、製造、販売を行っています。今回のあら坊タオルもオリジナルの企画になります。
B型支援事業者も同じような業態を取っているところが多いですが、われわれは比較的障がいの程度が軽い方が多く、集団としては比較的高度な仕事を実施できます。そういったところで仕事の棲み分けがなされています。
また、我々が営業して取ってきた仕事の一部をB型事業者にさらに委託したりすることもありまして、A型事業者としてはそれも役割の一つと考えてやっております。
– 足尾ではじまった作業所がなぜ荒川区に開所したのですか?
過去に、東京都が大型の箱物施設を作る体力がなかった中で、障がい者を受け入れるためにいい環境と居住施設を持つ、いわゆる「都外施設」を拡大した時期がありました。
社会福祉法人すかいは、その事業からスタートしており、東京都民である障がい者の方を日光の側にある都外施設で受け入れていました。その中に荒川区の方もいらっしゃった関係で、今度は荒川区内に就労施設を運営できないかという話が荒川区の方からあり、こちらの事業所の立ち上げにつながっています。
実は、最初に立ち上げたのは障がい者地域生活支援施設「スクラムあらかわ」(荒川区紹介ページ)という施設になります。
こちらは、国が進める「ノーマライゼーション」という、障がいにかかわらず当たり前の暮らしが出来る環境を提供する、という考え方の元に展開された施策の中で、地域に根ざした施設を作りたいという考えのもとで作られました。
グループホームといって、アパートなどより小規模な場で3年間の期限付きで共同生活をしたり、自宅などで自立支援を受ける形になります。
障がい者福祉の行政においては、本人の意思とは関係なく行政が提供されるべきサービスを決め、行くべき場所を決めていたような時代がありました。
しかし、障がい者が自ら受けたいサービスを決めて事業者と契約できるよう平成15年に支援費制度が導入され、その後平成18年に更に障がい者自立支援法が施行されるなど、国の方針は大きく変わりました。
– 国や自治体の方針転換はスカイさんにとっても事業のあり方を変える契機だったのでしょうか?
はい。我々の事業は国の施策に則って行われているので、当然我々も事業計画の見直しを迫られました。
但し、人権に対する世界のトレンドを取り入れた良い方向への変更ですので、積極的にその流れに載って新しい事業展開をするということになります。
今年はパラリンピックも盛り上がり、色々な方の目に届いたと思っています。そういったことを契機として自分の地域、近くにも障がいのある方は沢山いるんだということを理解していただき、一緒に生きていくことのできる同じ人間なんだという考えが広まれば良いなと思っています。
– こちらの事業所の方はみなさん足尾から来られたのでしょうか?
従業員は4名おります。管理者が新井、サービス管理責任者が山内、後の2人は現場の責任者になります。ただ、足尾から来たのは一人だけでして、私(山内さん)も都内の住人で途中から参画しています。
私は新卒ですぐに障がい者支援の世界に入りまして、既に20年以上になります。保育士の資格を持っているのですが、通っていた学校で保育所コースと障がい者施設コースがありまして、両方の授業を受ける中でこの仕事の魅力を感じて障がい者施設のほうに入りました。
– 一般企業でも障がい者雇用が義務付けられていますが、実際に障がい者の方と仕事をする上では大変と感じることもあります。困難もあるのではないでしょうか?
たしかに仕事をする上でコミュニケーションを取ることが難しいケースはありますし、障がいの程度が重い場合であれば、相手の方がどう感じていただけるかが分からず、どう関わっていけば良いか分からない場合もあります。
ですが、そういう場合も相手の気持ちを考えながら色々なことを試してみて、良い部分も不快に思われてしまうかもしれない部分も含めて、何とか相手の方にそれが人生の経験として伝わってくれればいいなと思いながらやっています。
いまこちらの作業所を利用されている方は比較的軽度の障がいの方なのです。一般の社会での仕事の経験を積んできた方もいらっしゃいます。そういう方は、どこかで何らかの障がいにより、仕事を辞めざるを得なくなったということになります。そういった方が改めてここに来て、気持ちもこころも技術も、もう1回学んで改めてチャレンジしたいというわけです。
そうしますと一方的なものではなくて、相手の思いもあって、我々の思いもあって、そして当然、やるべき仕事もあります。特に、仕事はやらなければ給料を払えないわけですが、我々は一般企業とは違って仕事においては上司ではなく、あくまでも支援施設としてサービスを提供する立場です。一方、仕事が納期に間に合わなければどうしようもないわけで、必要な業務上の指導はせざるを得ません。
そういった我々の思いと障がい者の方の考えが常に合致するわけでもないですし、サービス提供者として事業を行っている以上、その方針に対して逸脱していないかどうかなどを考え悩むこともあります。
ただ、そういったことばかり普段考えているわけではなく、作業所としてはやはり一緒に汗をかいて楽しい仕事も難しい仕事もやっていこうよ、という感じで業務を行えておりますので、その辺はご利用いただいている皆さまも感じていただけているんではないかと思っています。
(この続きは、「後編」にて)
Permalink