荒川区の初詣 – 古地図から知る自分の住む地域の神様

久しぶりに記事を書きます。時期が時期だけに初詣の記事を書きました。

荒川区生まれの人はもちろん自分の住む地域がどこの神社の氏子であるか知っているでしょうけど、転居してきた人は自分の住む地域がどこの神社の氏子町域なのかわからなかったりします。

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自分の実家のある慣れ親しんだ神社や浅草寺、明治神宮など大きな寺社に初詣に行くのもよいでしょう。日本は絶対唯一の神様を信じる国ではなく八百万の神様というようにたくさんの神様から加護されています

自分が住む地域の神様の加護を受けても得することはあっても損することはありませんよね。荒川区に住む人は自分の住む地域の神様に安息を願ってみてもよいでしょう

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まずざっくり言うと荒川、南千住、町屋は素盞雄神社、南千住の一部は胡録神社、石浜神社。西日暮里は諏方神社、東日暮里は元三島神社、西尾久、東尾久は尾久八幡神社です。しかしこれがすんなりと行かない部分があるのです。

氏子町域は今の行政区画ではなく昔の村落の区分けによって分かれているからです。昔は村境は入り組んでましたが、昭和38~43年に住居表示が実施されて鉄道や大きな道路が境界に変更されたので昔の町域がわからなくなってしまいました

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いろいろな例を見ていきましょう。尾久は全域が尾久八幡神社の氏子領域ですが町屋の北部も尾久八幡の氏子です。

昔の地図を見てみましょう。現在の町屋5,6,7丁目の一部、荒木田交差点の北の方は昔は尾久だったのです。江川堀という今は暗渠になってしまった用水路から北側は尾久だったのですが住居表示が実施されたときに境界が変更されて町屋になりました。

町屋は素盞雄神社の氏子町域なのに、町屋北部が尾久八幡の氏子町域なのは昔は尾久だったからです。

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西日暮里は諏方神社の氏子ですがこれも一筋縄ではいきません。現在の住居表示の西日暮里でも三河島駅付近や新三河島駅付近の子の神町会の辺りは素盞雄神社の氏子です。

昔の地図を見てみましょう。現在は西日暮里の町域となっている部分にまで三河島町が食い込んでます。今では尾竹橋通りが町域の境界ですが、昔は道路が境界ではなかったのです。三河島(荒川)は素盞雄神社の氏子町域ですので西日暮里の中に素盞雄神社の氏子町域があるのです

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東日暮里は元三島神社の氏子ですが、二之坪町会、正庭町会の地域は素盞雄神社の氏子町域です。これも昔の地図を見ると元々三河島だった二之坪、正庭など住居表示が実施されてから常磐線が境界に変更されたので東日暮里となったのですが従来通り伝統的に素盞雄神社の氏子町域です。東日暮里の鎮守様である元三島神社は台東区にあります。

なぜこうなったかというと、台東区根岸と荒川区東日暮里は同じ金杉村という一つの村だったものが、東京市が誕生したときに二つに分かれてしまったからなのです。今は別な区ですが元々は同じ村。似たようなパターンで二つの自治体にまたがるものとしては諏方神社が荒川区西日暮里と台東区谷中の鎮守様であり、石浜神社が荒川区南千住の一部と台東区橋場、清川などの鎮守様であるのと一緒です。東京15区、東京35区ができたときに町の合併で新しい自治体ができたことで過去の概念が変わりました

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同じ日暮里でも西日暮里と東日暮里は鎮守様が違います。住居表示「西日暮里」はもとの新堀村、谷中元村で台東区谷中も諏方神社が鎮守様。住居表示「東日暮里」はもとの金杉村で、台東区根岸と同じ元三島神社が鎮守様です。日暮里駅前付近も谷中元村だったところと金杉村であったところで鎮守様が分かれています。

荒川区東日暮里と台東区根岸は同じ金杉村だったのですが、音無川を境にして東京市下谷区と北豊島郡日暮里町に分かれた経緯があります。それなので東日暮里の鎮守様である元三島神社は台東区の鶯谷駅前にあります

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南千住はおおむね素盞雄神社の氏子町域なのですが、汐入方面は橋場村という違う村でした。この橋場村も思川という川を境にして、東京市浅草区橋場と北豊島郡地方橋場村に分かれました。

南千住3丁目にある石浜神社は荒川区側と台東区側に氏子町域がまたがっているのはそのような理由です。地方橋場村の中でも汐入地区であった南千住8丁目は胡録神社が鎮守様です。

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なんだかややこしいのですが自分が住む地域のことを知っていても損はないと思います。

せっかく縁があって住んでいる街です。街を深く知ることによって街に興味を持ち、街とのかかわりが深くなっていけば新しい発見、新しい出会い、人とのつながりができて人生変わるかもしれませんね。

2016年はご愛読ありがとうございました(半年お休みしましたが・・・笑)。2017年も皆様の知的好奇心にお応えできるような記事を書こうと思っています。宜しくお願い致します

2件のコメント


  1. 出光さん
    小台は足立郡、荒川区域は豊島郡でありながら、宮城、小台の辺りは豊島一族が治めていたり、荒川区は峡田領でありながら尾久の一部は岩淵領であったり、南千住が一時的に足立郡に組み込まれた時もありました。日暮里は台東区側に組み入れる案があったり、日暮里と滝野川で区を作る案があったり、先々はどのように変わっていくか再編もあるかもしれませんね。土地土地の歴史を継承していかないと併合、分離、再編などがあったときに地域の歴史が継承されなくなってしまうかもしれませんのでいろいろな経緯をわかりやすく次の世代へとバトンタッチしていきたいものです

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  2. 兒玉様
    詳細な解説ありがとうございます。まだまだ日常生活において、自分の住まい、拠って立つ所を知らなければ、その理由を知ることができないですね。
    現在、小台という荒川放水路で足立区と切り離されてしまった土地に住まいします。何故荒川区に組み込まれないのか不思議に思っていましたが、元々の住民にとっては隅田川の川向こうとしての思い愛着があるのだろうと思うようになりました。しかし放水路できてから100年を超え、新しい世代.住民が増えその意識が薄ると荒川区や北区に編入なんてあるかもしれませんね。
    活動にはなかなか参加出来ませんが荒川区は大好きですのでこれからも関心もっていきます。
    今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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