荒川の職人さん:3人目「ムラマツ製菓 村松義孝さん」

ピンクの壁、ピンクのストライプの屋根。「ムラマツ製菓」と書かれた日除けの向こうからグイングインと機械音が聞こえる。

ムラマツ製菓
ムラマツ製菓

ごめんください、とガラス戸を開けると人が1人ようやく通れるぐらいの通路の奥に村松さんが機械を動かしていた。間もなく包装紙に包まれたニッキ飴がレーンをシャラシャラと流れた。「なかなか来ないから仕事始めちゃってたよ、どうぞ」

ムラマツさん
ムラマツさん

販売所を兼ねた作業場と飴を加工する離れの工場、2ヶ所を使い、すべての工程を村松さんが一人で手掛ける。「昔は飴を包むのも女工さんが一つ一つ手作業でやってたんだけどね、今はここだけ機械。あとは全部手作業ですね」

ムラマツ製菓はこの荒川区で代々100年以上続く飴屋である。かつては和菓子なども扱っていたというが、いつの間にか飴の製造・販売に専念するようになった。ハッカ飴、ニッキ飴…中でもファンが多いのがウイスキーボンボンである。砂糖玉が口の中で割れると中からとろりとウイスキーシロップがこぼれ出る、あの背徳感に子供の頃は幾度となく憧れたが最近では店先でも見かけることが少なくなった。「作るところもだいぶ減っちゃってね、今は都内だとうちぐらいじゃないかな」

ウィスキーボンボン
ウィスキーボンボン

義孝さんが家業を継いだのは自然なことだった。大学に進み、一時は医療工学の世界にも憧れたが、最終的には幼い頃から慣れ親しんだ製菓の道を選んだ。家業を継ぐことを誰よりも喜んだのは創業者の祖父だという。父はああでもないこうでもないと厳しく口を出したが、祖父は黙って義孝さんに何でも試させた。

たとえば、義孝さんはある時「ところてんにウイスキーボンボンを浮かべられないか」と考えた。みかんの代わりに色とりどりのボンボンが浮かぶのはさぞきれいだろう、と思ったのだ。ところが実際に試してみると砂糖が溶けてしまい、失敗に終わった。きっとうまくいかないと知りつつも、祖父が口を挟むことは一度もなかった。「思ったようにはいかないんですよね。でもそれがまた(仕事への)好奇心になってね。今となっては一本取られたな、って思ってますよ(笑)」

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ボンボンにも様々なバリエーションがある。カラフルなウイスキーボンボンにボトルの形をしたブランデーボンボン、後味の爽やかな日本酒ボンボンというのもある。ぶどうジュースボンボンは私が子どもだったら不満をこぼすかもしれないが、親には安心の逸品だろう。

ある会社からの特注で、ローズボンボンというものを作ったこともあるという。食べ続けるとそのうちふわりと身体からバラの香りがするようになる、というものだ。荒川区といえば都電沿いのバラ。バラの市にちなんでローズボンボンを作ってほしいという声を受け、来年に向けて試作品を作っている最中だそうだ。

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販売所には近所の子どもが買いに来ることもあれば、「懐かしい」「親に食べさせたい」という大人が遠方から駆けつけることもある。ある時は名古屋から来たという方が販売所を訪れたこともあった。これから観光ですか、と尋ねたところ「ボンボンを買いに来たのでもう帰ります」と答えたという。根強いファンは全国にいる。

ファンが全国にいる。それはそれとして、義孝さんは淡々と一人で作り続ける。跡継ぎはいない。還暦を超え、62歳になった。この先、いつまで続けられるか分からない。外のことや先のことはさておいて、目の前で「ムラマツの飴」を待つ人々のために、義孝さんは小さな作業場で飴を作り続ける。

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ムラマツ製菓株式会社

ホームページ :http://www.bapsd.com/muramatsu/
住所     :東京都荒川区町屋4-24-7
電話     :03-3895-4353
FAX     :03-3895-5614

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